コロナ禍において自粛生活、テレワーク・リモートワークを通じて、オンラインでつながる便利さを得る反面、「場所に出向く」「人と会う」ことがどれだけ貴重だったのかに気づいた人も多いのではないでしょうか?
それはもしかしたら「今までムダな場所に出向き、イヤな人と時間を共有することが多く過ごしていたことに気づいた」など、自分がどれだけムダな時間、もったいない時間の使い方をしていたのだろう、と嘆く方もいるかもしれません。
だからこそ、「どこかに出向き、誰かに会いに行く時間」はとても貴重なものになります。
人に会う価値の変化
どこかに出向き、誰かに会いに行く時間、共に共有する時間そのものは、これから先とても貴重な体験となります。時間は1日24時間平等にあるものですが、その時間の使い方が今、改めて問われているのではないでしょうか?
✔あなたにとって、成長できる場所や人に会うこと
✔あなたにとって、心が満たされる人との時間の共有
✔あなたにとって、ムダなことをしない、イヤな時間を過ごさない
それはつまり、
✔誰と働くか
✔どのような働き方をするか
これがとても重要になります。だって働く時間は1日8時間、つまり1日の1/3を過ごすわけです。起きている時間で考えるとおよそ半分が働く時間の割合です。
だからこそ、働くこと(働く場所・時間・人)は、あなたの人生を共に生きている大事な存在だと思いませんか?
固定概念と考えのクセ
私たちは、常日頃から固定概念や考えのクセを持っています。
✔完璧でなければいけない
✔こうあるべきだ
✔そんな考えしかできないなんておかしい
そのような固定概念や考えのクセの違いが、関係性に摩擦を起こしてしまうんですよね。
✔あいつはわかっていない
✔彼はいつも自己中心的で独りよがりだ
✔彼女のワガママぶりにはうんざりだ
一時の感情論で収まるのであれば、解決していきやすいので問題はありません。でもずっと引きずっていたり、「生理的にムリ」という状態になってしまっては、例え誤解から生じた摩擦であったとしても、元の状態に戻していくことは困難です。
その状態から、あなたはどのようにされていきたいですか?
✔そのような関係性をイヤと思いながらも続けていくこと、時間を共有することを必要とするのか
✔そのような関係性から離れて、自分自身が満たされる関係性との時間を過ごすことを必要とするのか
✔そのような関係性の視点を変えて、新たな関係性としての時間を共有することを必要とするのか
「どこかに出向き、誰かに会いに行く時間」はとても貴重なもの。
誰かと共に働くということは、あなたの人生を共に生きている大事な存在。
その貴重な時間、大事な存在を、あなた自身の中でイヤだと思いながら過ごすのか、離れて新しい満たされる場所と人に出会うのか、それとも視点を変えて有意義な関係性に変えていくのかで、あなたが健やかに豊かなキャリアを築く道は変わっていきます。
働く価値観の昔と今
20代の若い頃は学びや目標達成に貪欲な人は多いのではないでしょうか?私が会社員の頃も、今学ばないと、今成長しないと先がないという焦りや思い込みから、
「自分の意志が強ければ、どのような環境下でも成長できるはず―。」
「環境や周りの人のせいにすることは、自分自身の弱さだ―。」
そのような言葉を若い頃は教訓にしていたような気がします。よくあるドラマや漫画や映画、スポーツにしても、根性論や、未熟でも努力すれば報われるような感覚って20年前って多かったじゃないですか。単純ですが、それも影響していたのかな、と思います。
今とは時代が変わったのか、と言うと、働くこと(働く場所・時間・人)においては根本的には変わっていないと思うんですよね。
✔挫折し、苦しい経験をしたとき、励まし支えてくれた人がいること
✔悩んでいるとき、ただ隣で話しを聴いてくれた人がいること
✔仕事に追われていた時、スッと声をかけてくれて協力してくれる同僚がいること
✔厳しいけれどあの人のようになりたい!と目指すイメージ像があること
仕事は一人でおこなっているように見えても、一人で完結しておこなうことはほんの一握り。働く場所があり、その場所でお互い協力・サポートする関係性と時間を経て仕事は創り上がっていきます。企業に属して働いているのであれば、その企業の看板がある限り自己完結でできる仕事はありません。
20年前と現在が違っていることがあるとするならば、それはきっと日本特有のみんな一緒、同調圧力が少なくなってきたからかもしれません。
今は終身雇用のように、入社したら会社に忠誠を誓います、という時代でもない。
根性論が強い体育会系のみ採用したい、と言っていては採用できない。
労働力人口が減ってきているため、外国人雇用、時短、育児や介護と両立しながら働く時代。
そのような中で、様々な価値観、様々な生活スタイル、様々な働き方が乱立した今、意見の食い違いや考えの相違が出てくることは当然のことかもしれません。
だから衝突したり、いつも否定的な意見がでたり、きっとみなさん自分の中にある価値観や正義を守りたいんですよね。
その一人ひとりにある価値観や正義を「多様な価値観、多様な正義」としてお互い認識できれば良いのですが、すんなり誰もがそのように思うことはできません。それは、それぞれが持っている固定概念や考えのクセが邪魔をしてしまいます。
✔完璧でなければいけない
✔こうあるべきだ
✔そんな考えしかできないなんておかしい
これらの固定概念や考え方のクセは、あなたの育ってきた環境・教育・システムから生まれています。
例えば「完璧でなければいけない」という考えを持つ人。その考えになった要因として
✔子どもの頃から間違ってはいけない、常に正しくいることを求められていた
✔男性が多い職場の中で、女性だからと言って軽視されないようにミスなく抜かりなく、何を指摘されても返答できる術を持たなければいけなかった
✔論理的に指摘されることが多かったので、相手を論破したい、言い負かしたい気持ちが強く芽生えるようになった
このようなことが言えるかもしれません。
あなたも固定概念や考えのクセを持っているように、相手も固定概念や考えのクセを持っています。そのような固定概念や考えのクセだけで見ると、イヤな人はもっとイヤになります。それを解くには、あなた自身が客観的に相手を見て、視点を変えたモノの見方をしていく必要があります。そうすることで、固定概念や考えのクセがはずれていき、相手の立場にたった物事を見る視点が生まれます。
でもこれは慣れるまでにすごく時間を要します。それで仕事が進まない、ストレス過多になるようであれば、その場から一歩離れてみることも時には必要なのかもしれません。
だって働く時間は1日の1/3ですよ。それは一緒に働くことは一緒にあなたの人生を生きているようなものです。イヤだ、イヤだ、とストレスを抱えながら働く人生を生きるよりも、心身共に健やかに豊かな気持ちで働くか、と考えることはとても大事なことなのです。
「どこに出向き、誰に会いに行く時間、誰と共有する時間」が貴重になる今、
誰と働くか
どのような働き方をするか
周りからどのようなサポートが必要なのか
これらを考えていくことはとても重要なことです。
そして、あなた自身、多様な価値観・正義を認めるモノの捉え方・視点を持つことも大事です。モノの捉え方・視点を広く持つことで、「誰と働くか」という「誰」においても、単純に自分とウマが合うとかというレベルで判断するものではなくなります。多様な性格・多様な価値観・多様な考えを持つ様々な人たちと上手く連携し合うことで、今までにない幅が拡がるステージへと、あなたを導いてくれる存在になるかもしれませんね。