あなたが嫌いだと思っているモノゴトはどのようなものですか?その嫌いなモノゴトをリストにしたとき、何個思い浮かびますか?
実はその数だけ、自分で自分を縛り付けている数になります。
この投稿の目次
「好きなもの < 嫌いなもの 」になっていませんか?
あなたは、好きなことを考えるよりも嫌いなことを考える方が多くありませんか?
- 自分の長所は見つからないが、短所だったら思いつく
- 好きな人よりも、嫌いな人の人数が多い
- 何かを選択するとき、優先順位を上からつけるよりも、イヤなものをはずしていく消去法をとることが多い
一度好きなモノゴト、嫌いなモノゴトを箇条書きにして、紙に書いてみるとわかりやすいです。
好きなものリストは考えないと出てこないのに、嫌いなものリストはバンバン出てくるようなら、頭の中は嫌いなモノゴトで溢れてしまっているかもしれません。
その嫌いなものリストが多ければ多いほど、自分で自分を追い詰めて、活躍できる範囲を狭めてしまっていることがあります。
自分で自分を追い詰めてしまう2つの要因
嫌いなモノゴトとは、精神的な余裕や豊かさを求めて、そぐわないモノゴトを排除していくことが多いのですが、逆に精神的に追い詰めてしまう場合があります。この精神的に追い詰めてしまう原因は主に2つあります。
まず一つ目は、「物質的欲求から起こる精神的圧迫」です。
- 狭い部屋はイヤ
- 毎日ビールを飲めないとイヤ
- 流行に乗り遅れたらイヤ
これらの何かをしたい、やりたい物質的欲求が満たされなかったとき、ストレスが溜まります。物質的欲求にはお金が必要です。あなたが働いた収入の分だけ、物理的欲求を満たしていくことができますが、働いた分の報酬が見合っていないと感じている場合、物理的欲求を満たすことができなくなります。
それがストレスをため込み、イヤなことが続くのは会社のせい、周りのせい、と自分以外の第3者のせいにしてしまいます。
二つ目は、「自分のフィールドを大事にし過ぎることで起こる精神的圧迫」です。
- 自分に合わないモノゴトがイヤ
- 自分のルールから反れるコトがイヤ
- 苦手な人や嫌いな人と関わることがイヤ
イヤなモノゴトに囲まれた環境よりも、自分の感覚に合う環境がいい、だから自分と合わない人は遠ざけて、自分の価値観に合うフィールドの中だけで生き続ける人のことを指します。
自分の価値観に合うフィールドとは、一番ラクな環境の中にいます。
一見楽しそうに見えますが、マンネリ化した環境はいつしか新しいフィールドに動きたくても身動きができない状態に陥ってしまいます。
自分のフィールドとは、例えば部屋でラクな姿勢で寝そべって好きなことをしている時間のことを指します。手の届く位置にスマホ、TVのリモコン、お菓子、飲み物がある…、何でもとれる位置でラクな姿勢でいる至福の時間は、ずっとその場の状態ではいられません。外に出たいと思う気持ちになったとき、立ち上がることに億劫さを感じてしまうと、少し歩いただけでも疲れてしまいます。
疲れてしまうことに、自分は何もできない、今のフィールドが心地よいと思い込み、新しい挑戦や視野を狭めてしまいます。
幼少期の環境が自分のフィールドを固めていく
人間の性格は、幼少期の頃に形成されると言われています。大人の関わり方、教育方法で子どもの視点・価値観は培われていきます。キャリアカウンセリングをしていると、親から兄妹や親せきの子どもと比較されて育てられたと言われる方や、いつも周りの目線が気になって自分の意見を言えない、という方々に遭遇します。
- これがやりたいと言ってもダメだと言われていた
- 褒めて欲しかったのに、いつも否定されていた
その状況が続くと、言いたいことが言えない大人になり、他人と関わることで否定されたくない気持ちが強くなるので、自分のフィールドの中で籠るようになります。その自分のフィールドに当てはめて、これはイヤ、あれはやらない、そんなYesかNoかの2択でモノゴトをみるようになります。
自分のフィールドと世間のフィールドの大きさを比べると、圧倒的に世間のフィールドの方が大きいので、イヤなモノゴトのリストは必然的に多くなっていきます。
キャリアカウンセリングに相談に来る人のほとんどが、イヤなモノゴトのリストが膨れ上がっていて、その状態から抜け出せなくなっていることが多いのです。
自分では何も決められなかった幼少期
私にも上に2人兄姉がいます。おもちゃや服はいつもおさがりで、特別何か新しいものを買ってもらったという記憶はありません。「これが欲しい!」と言っても、「お姉ちゃんのがあるでしょ」と言われていました。幼少期の頃はいつも2人の後ろについていっていましたし、それが自分のフィールドだった気がしています。そのフィールドに慣れることで、自分から何が欲しいという考えがわからなくなり、いつもモノは兄姉から流れてくるもので、何かをしたい!やりたい!という自発的なことは、知らぬ間に消えていってしまいました。
でもついていく自分がいつしかイヤになり、大学から一人暮らしを始めました。その時にはじめて、これがやりたい!という自発的な欲求のなさと、兄姉から何もモノが流れてこない喪失感を感じました。
幸か不幸か私の場合、閉じこもってばかりじゃいられない状況なくらいに環境がガラッと変わったことが、それまでの自分のフィールドの殻を壊すきっかけになったのかもしれません。大学時代は、友達、サークル、バイトなど、さまざまな他人との関わりがありました。過去の環境では得られなかった人との出会いや考え・価値観の違いなど、今までの自分とは異なるフィールドを見たことで、得られた経験は計り知れないです。
でもこれが、地元の大学で実家からの通いであれば、自発的に考えることもせず、いつも周りに合わせることが当たり前になっていたと思います。きっと何か自分から新しいことに挑戦しても、ちょっとイヤなことがあったらやめておく、できない、やれない、そんな自分のフィールドを守ることに必死になっていたかもしれません。
気持ち良いキャッチボールをしよう
人は精神的欲求を満たしていくことができなければ、どれだけ物理的欲求を満たしても満足できません。精神的欲求が満たされるには、「他人との関係性」を深めていくことが大事です。他人との関係性を深めていくことは、
- 必要とされている自分
- 信頼されている自分
という自信につながり、それが精神的安定・余裕・豊かさを感じるようになるからです。
他人との良好な関係性を築くには、言葉のキャッチボールをしあうことです。
言葉のキャッチボールはしているよ、と思うかもしれません。
でも投げ方・受け止め方も様々あり、あさっての方向にわざと投げる人もいれば、力強く速球で投げる人もいます。
相手が豪速球で投げてきたら、何だかイラっとしてしまいませんか?
その苛立ちを豪速球で返すと、さらに力強く豪速球で返ってくる…、その繰り返しは、良い言葉のキャッチボールをしているとは言えません。
他にも、ボールを返さないという選択肢もあります。でもそれは、自分のフィールドを守りたい表れで、いつかきっとボールを返さなかった自分に自己嫌悪するときがやってきます。
相手に対して「気持ち良い投げ方」とはどのようなものなのか?
相手が受け止めやすい位置に優しく柔らかく投げたら、相手はどのように思うのか?
きっと良い印象を持ちますよね。そうすると相手もきっと同じ返し方をしてきます。その繰り返しが、言葉のキャッチボール、フィードバックをする・される関係になります。
良い言葉のキャッチボールやフィードバックをする、される関係性は、自分のことをわかってくれている安心感や信頼を蓄積していきます。この蓄積が、今までの自分のフィールドの範囲をすこしずつ広げていくための糧となるのです。
あなたの中にあるイヤなモノゴトのリストには、自分のフィールドを守りたいために書いたものはありませんか?
それは今まで良いキャッチボールをしてきていないことが原因ではありませんか?
相手が気持ちよく受け止められる形で言葉を投げることを続けていれば、新しいフィールドを見つけていき、それが自信につながり、精神的安定・余裕・豊かさを手に入れることができるようになりますよ。
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